離婚した私

離婚についてのあれこれ、結婚していた頃のエピソード、独りで生きる自由と孤独を書いていきます。

息子はグレーゾーン

私が療育している子ども達の約半数は、

自閉スペクトラム障がいの疑い、

若しくは確定診断が付いている。

そのほとんどが、アスペルガー症候群である。

 

幼児期の子どもの保護者の多くは、

健診で指摘されたものの、

医療機関を受診することに躊躇いがあり、

確定診断を先延ばしにしている。

我が子の困難さを、

障がいと取るか、個性と取るか。

幼児期ではまだ判断が付かないというのもある。

 

風変わりな子どもではあるが、

3歳にして漢字が読めてしまうような、

IQの高い我が子を障がい児と認めたくない。

その気持ちはよくわかる。

 

幼稚園に息子を迎えに行くと、

玄関に入る前から大きな泣き声が聞こえる。

毎日毎日、息子は泣いていた。

先生の言うことは彼には絶対であり、

それを守らない子どもは敵だった。

多動風味な他児を、アスペ風味な息子が厳しく注意する。

多動な子も容赦ない。

息子をこづく、押し倒す、「ばーか」と罵る。

そんな様子を、担任はオブラートに包んで私に伝える。

 

車の中で、泣きじゃくりながら息子が言う。

「ぼくは正しい、間違ってない!」

 

・・・そうだ、キミは間違ってないよ。

でも世の中、正しさで割り切れることばかりじゃないのよ。

理不尽なことがいっぱいあるんだよ。

 

・・・それを幼児にどう説明したらいいのか。

私は「うーん」と言ったまま黙ってしまう。

「そうだね。間違ってないね・・・」

息子の気持ちを受け留め、それ以上の言葉はやはり出てこない。

 

息子は2歳で発語し、

それから1年経たないうちに、

ひらがな、カタカナ、

小学校低学年の漢字、アルファベットが読めるようになった。

ミニカーが好きで、よく一人遊びをしていた。

床に寝そべり、几帳面にミニカーを並べる。

驚いたのは、その並べ方。

近所のスーパーの駐車場そのままの配置なのだ。

バンパーとバンパーがくっつくように並べられている。

さらによく見ると、

ひと区画ごと、同じメーカーの車で埋められている。

日産のエリア、トヨタのエリア、スズキの、ホンダの・・・。

3歳の頃の話だ。

 

企業のマークも大好きだった。

クルマ屋、コンビニ、スーパー、etc。

路肩の看板を片っ端から読み上げていた。

 

早熟な息子を最初は面白がっていたが、

高い記憶力や言語能力と裏腹に、

社会性の足りなさに不安を抱くようになった。

同年齢の幼児の集団の中に入ると、

必ずトラブルを起こす。

自分の思った通りに、考えた通りに、

ルール厳守でお友達には遊んでほしい。

それが崩れると癇癪を起し大泣きしてしまう。

 

今の時代ならば、グレーゾーンの子どもとして、

デイサービス通園を促されるだろう。

しかし20年前は、知能が平均以上ならば見過ごされることが多かった。

広汎性発達障害という言葉も無かった。

 

学齢になると、年度初めには毎回、

同級の子と取っ組み合いになった。

4月は必ず、担任から電話が入った。

息子には「正しいか」「間違いか」

その二つしか無いらしかった。

私は息子に、「六法全書」とあだ名をつけた。

 

息子がようやく落ち着いたのは、高校生になってからだ。

「世の中にはあいまいな事柄が多い」

納得こそしてないようだったが、

ようやく「まぁ、いいじゃん」と物事を流せる器量が身についてきた。

 

そんな息子は今年25歳になる。

大学ではバイトに明け暮れ、

そのままその企業に就職して、なんとか社会に適応しているようだ。

義父や元夫とは違うタイプだが、

アスペの血は間違いなく受け継いでいると思う。

恋人や嫁が苦労しなければ良いが、

と案じている。