離婚した私

離婚についてのあれこれ、結婚していた頃のエピソード、独りで生きる自由と孤独を書いていきます。

アスペルガー症候群は遺伝するのか

アスペルガー症候群(疑い)の元夫のエピソードを書いてきたが、

義父については更に疑惑が深い。

遠方に住んでいて、会うのは年に一度のペースだったが、

毎回なにかしらやってくれた。

 

夫と付き合っていた頃は、大変印象の良いひとだった。

一番最初に、ご挨拶で会ったときは、

正座をしてうやうやしく深々と頭をさげた。

テーブルには、義母の作った手料理が並ぶ。

「この人は料理がうまいんだよ」

などと、義母を褒めちぎっていた。

 

少し離れたところで、

義母は何故か憮然としていた。

 

結婚が決まり、仲人の所へ皆で挨拶に行った日。

義父は耳を疑うようなことを言った。

 

難い話はやめましょう、と仲人が言って、

それぞれのグラスにビールが注がれた。

かしこまっていた義父が突然口火を切った。

 

「どうしてこの人にしたんだ。

もっと稼げるような女はいただろう。看護婦とか。」

 

場が凍り付いた。

その言葉に驚いたのは私だけではなかっただろう。

(え?今その言葉?)

3秒か4秒のフリーズ。

 

私は原爆を投下された気分だった。

その後、他の人がなんて言ったのか記憶にない。

猛烈な恥ずかしさと哀しさ。

夫は何か言った。

義母も何か言った。

「まぁまぁ、それはいいじゃないですか、さぁ」

そんな感じで仲人が義父にビールを勧め、場を取りなした。

 

言うか?そんなこと仲人への挨拶の場面で。

婚約前に反対してたなら、まだともかく。

それまで一切、私に対して苦情を述べたことも無く。

へらへら、へらへらと、笑っていたではないか。

 

恥ずかしさと哀しみが、

怒りと腹立たしさに変わっていった。

 

息子が生まれ、うちに遊びに来た時も、

息子などそっちのけで、競馬新聞を読んでいた。

「ちょっとあんた!孫の所に来てまで何やってるの!」

義母に怒られても「はぁ?」といつものニタニタ顔。

「遊んであげなさいよ!」

「そうか、へへへ」

息子の一人遊びに混ざっていく。

 

義母は、客間へ荷物整理をするために席を外した。

義父の投げるボールは剛速球で笑えたが、

息子はきゃっきゃと楽しそうだった。

そして私も、トイレに立った。

 

戻ると和室の戸が閉まっている。

(え?閉めて何やってるの?)

と思っていた矢先、

「ぎゃー!」

という、息子の叫びのような泣き声が聞こえた。

 

和室の戸をばっと開ける。

「どうしたの?」

「じいちゃんに叩かれた!」

義父を見ると、何とも言えないニタニタ顔をしている。

義父は何か言ってたはずだが、憶えてない。

 

(馬鹿か!)

(戸を閉めて叩くなんて悪質!)

(コドモ以下!)

等々、怒りがこみ上げて止まらない。

 

義母も息子の泣き声を聞いて和室に来た。

「どうしたの。」

「お義父さんが○○(息子)を叩いたって・・・。」

「えーっ、何やってんの?!」

それからは、私を代弁するかのような義母の罵詈雑言だった。

その間も義父は、へへへ~へへへ~と笑い続けていた。

 

それからも、息子に会うためというより、

東京競馬場に行きたくて、ついでで遊びに来ていたのだと思う。

 

義母も夫が高校生の頃に、うつ病に罹ったと言っていた。

アスペの夫を持つと、高確率で妻はうつ病になる。

 

「お母さんが昔うつ病に罹ったと言ってたけど、大変だったんだね」

私がこう言うと夫は、

「え?いつ?俺全く知らない」

この発言にもびっくりした。

母親が、寝たり起きたりの生活をして塞ぎこんでいるのに、

何も気に掛けない高校生の息子。

そんなことある?

あるんです。

 

アスペルガー症候群の原因はまだはっきりしていない。

 遺伝の可能性は高いが、断言は出来ないようだ。

わかったからと言って、何になるのだ。

辛くなるのは、母親ばかりではないのか。