離婚した私

離婚についてのあれこれ、結婚していた頃のエピソード、独りで生きる自由と孤独を書いていきます。

何色にも染まる夫

 

テレビは、何時間でも観ている。

2メートル離れた、テレビの真ん前の特等席で、

無言でひたすらテレビを観ている。

私が時折テレビに視線をやると、

夫の後頭部が見える。

同じテレビ番組を観て、笑いあったのは遠い昔。

背中に声を掛ける気なんて起きない。

もちろん夫にも、振り返る気持ちなど全くなかっただろう。

 

何をするにも夫は受け身だった。

彼の意思が確認出来る時は、

物欲か性欲に突き動かされている時のみ。

それ以外は、提案も決定権も、私に委ねられていた。

「なんでもいいよ」

「どっちでもいいよ」

「決めていいよ」

それが楽な時もあったが、

「それじゃ困るんだけど」と言うと、

ひたすら黙り込むのだ。

私が答えを出すまで、黙り込むのだった。

 

無色透明な男ならば、

それはそれで存在感があるものだけれど、

夫は容易に周囲に染まった。

それが本当に嫌だった。

 

はじめての単身赴任先で、

夫はある同僚から強い影響を受けた。

同僚の話を面白そうに私に語る。

 

彼は妻を女中のように扱い、

ことごとく無視し、否定し、

家事と育児の全てを押し付けていることを、

自慢げに話す「クズ」だった。

 

「ずっと冷たく扱っててさ、

それで最近どんどん嫁さんの化粧が濃くなってるんだって。

それでも無視して、夜も拒否してたら、

こないだ家中のものを壁にぶつけて壊したらしいよ。」

 

こんな話、同じ女として笑えるか?

何とか冷えていく関係を修復しようとしてもがいてる、

痛々しい奥さんが不憫だった。

近い未来の自分が嗤われているような、

不快感と怒りがこみ上げる。

 

「その男、今に痛い目に合うと思うわ」

臆面も無く愉快そうに話す、

夫とその男を重ね合わせて、吐き捨てるように私は言った。

しかしクズには何も響かない。

ぱたりと帰省日の営みが無くなり、

私を邪険にするようになった。

 

元の「意思のない夫」に戻ったのは1年後だった。

その同僚が会社を辞めたのだ。

 

元夫は、影響力の強い人や多数派の意見に滅法弱かった。

おそらく幼い頃から、そうやって我が身を隠すことが、

安心して生きていける方法だと学習していたのだろう。

 

夫は元に戻ったが、

私の心は元には戻らなかった。

あの1年間は大きかった。傷つくことが多すぎた。

痛みを感じないように、私は、

「無関心」の方向へどんどん歩いて行った。