離婚した私

離婚についてのあれこれ、結婚していた頃のエピソード、独りで生きる自由と孤独を書いていきます。

離婚を決意させた夫のひと言

「俺ひとりの力でここまで来た」

 

15回目の結婚記念日。

ホテル最上階のラウンジで、何杯目かのバーボンロックを呑み、

酔いで丸裸にされた心の主は、上機嫌でそう言った。

 

端正な夫の顔が、どんどん狡猾になっていて、嫌な予感がしていた。

(これから聞きたくない言葉を吐き続けるのだろう)

予感通りの言葉に、私の心はぺしゃんこになった。

 

「そう」

涙が堪えられなかった。

泣く私を見て、夫は何故か得意満面だった。

そして、涙の訳を尋ねない。

 

夫は高所得者と言ってよかった。

お金に苦労しなかった点は感謝している。

しかし、それが総てだろうか。

仕事に明け暮れ、休みと言えば月に4回ゴルフに行く夫。

日曜日は、息子と私ふたりで出掛けた。

家庭は私のワンオペ。

イクメンなどという言葉も無い時代だったし、

家庭のことも、子どものことも、

妻がやるのが当たり前だと思っていた。

息子の入学式も、卒業式も、夫は来なかった。

首からカメラを提げ、

ビデオの三脚をセッティングしている、

そんな親は私ひとりだった。

 

息子は父の不在を嘆かなかった。

小さい頃から、いないのが当たり前だったから。

私は友達に、「うちは母子家庭なの」と自虐し、

(そういう人と一緒になったんだから)

と気丈に振舞っていた。

 

社会的には成功者になった夫は大きな勘違いをした。

健気な息子と、淋しい嫁が自分の背後にいつもいることを忘れた。

 

いや、勘違いでも、忘れたのでもないのかもしれない。

夫の心に棲むのは、夫ひとりだったのかもしれない。

 

離婚の話し合いは一回きり、

3時間ほどで終わった。

 

これも特異なことだが、

夫には「想い出」というものがほとんど無い。

いろんなことを、憶えていないのだ。

(これは20代で気づき、本当に驚いた)

 

しかし何故かこの夜のことは憶えていた。

自分が言った言葉も、

私が泣いたことも憶えていた。

 

そしてまた、私は唖然としてしまう。

 

「俺の言葉に感動して泣いてると思った」

そう言ったのだった。

 

どういう感受性があれば、こんな風に感じられるのか。

「ああ、そうだったんだ」

(なるほどね・・・)

呆れながらも、何か納得してしまうのだった。

 

結婚生活は、不毛だったと思う。

だけど全否定してしまうのは哀しすぎる。

私は、(息子が生まれたのだからそれでよかった)

という落としどころを見つけている。

 

そして、私は人一倍、我慢強い人間になった、と思っている。